vitaminbooのboolog

映画の紹介・感想をメインに。 たまに、音楽、ドラマ、雑談を。

【映画】「42 〜世界を変えた男〜」の感想ネタバレなし

 

皆さん、こんばんわ

vitaminbooです。

 

本記事では、映画「42 〜世界を変えた男〜」の感想を書きます。

 

 

評価:★★★★★(星5)

評価について - vitaminbooのboolog

 

目次です

 

どんなストーリー?

チャドウィック・ボーズマンさん演じる

ジャッキー・ロビンソン(以下、ロビンソンさん)の伝記映画です。

 

ジャッキー・ロビンソンさんとは

ロビンソンさんはアフリカ系アメリカ人で、

黒人初のメジャーリーガーです。

ロビンソンさんの背番号「42」は、

アメリカとカナダの全ての野球のチームで

永久欠番されているほど、尊敬されている選手です。

 

WBC米国代表で主に2番打者として活躍していたボルティモア・オリオールズのアダム・ジョーンズ外野手のコメントも以下のように紹介されている。


「私たちが今日この立ち位置にいられるのは、ジャッキーが大きな犠牲を払いながらも行動してきたおかげであり、私たちは非常に感謝している」

 

出典:【MLB】全員が「42」を背負う日。グラウンドに勇気と平和を遺したジャッキー・ロビンソンとは | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) - Part 2

 

人種差別を抱き始める瞬間

球場の観客席でのシーン。

ある親子が、ロビンソンさんが出場する試合を観ています。

ロビンソンさんが登場した時に、

父親と観客が「黒人は出て行け!」とみんなで叫ぶんです。

その様子を戸惑いながら息子(小学校5〜6年生ぐらい)が見るんですが、

周りの空気を読んで、息子も「黒人は出て行け!」と

叫んでしまう、という内容です。

 

私は、このシーンを見て、悲しかったですね。

息子はもともと人種差別主義者ではないです。

そんな息子が、周囲が発している言葉によって

戸惑いながら人種差別主義者に変わってしまったのです。

 

(このあと、息子が自分の発言に反省する表情がありますが・・・)

 

観客席にいた、成人の人種差別主義者も子供時代があったわけです。

現実世界の人種差別主義者の方たちも子供時代に、

上記のシーンみたいな経験をし、

人種差別を抱く人間になってしまったのかな、と思いました。

集団心理と言いますか、周囲の考えがある程度、

伝染してしまい、人種差別主義者が生まれてしまったのかなと思いました。

 

何でこの作品をオススメするのか?

人種差別を絡めた今までの作品は、

人種差別の残酷さを表現している、主人公がそれを克服する内容だったと思います。

でもこの作品は、人種差別の残酷さ+人種差別という考えを

抱き始める瞬間というのが描かれています。

今まで鑑賞した作品の中で、人種差別を抱き始める瞬間を描いている作品は、

「42 〜世界を変えた男〜」が初めてだと思うのです。

残酷さを目の当たりにする、プラス人種差別という考えを

抱き始める悲しさを突きつけられるんです。

子供が人種差別用語を叫んでいるシーンを見て、悲しくなるのです。

大人が子供の純粋な気持ちを変えてしまったんだな、と。

  

色んな考えがあっていい。ただ・・・

人種差別の考えを抱く、ということに対しては、私はなんとも思いません。

しかし、その差別意識を人種差別対象者に押し付けて、

一方的に暴言を吐いたり、暴力を振るったり・・・

人種差別対象者の権利を侵害するのは大反対です。

「人種差別をする・しない」という考えを表現するにしても、

人間として、理性を持って表現すべきだと思います。

そして、周囲の言動が理性に伴ったものであるか、

自分で判断することの大切さ、

周りに流されない強い心を、上記のシーンから学びました。

 

まとめ

観客席のシーンを観て、皆さんはどう思いますか?

それでは。

 

引用サイト

1、【MLB】全員が「42」を背負う日。グラウンドに勇気と平和を遺したジャッキー・ロビンソンとは | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) - Part 2

 

参考サイト

1、42 〜世界を変えた男〜 - Wikipedia

2、【MLB】全員が「42」を背負う日。グラウンドに勇気と平和を遺したジャッキー・ロビンソンとは | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel)

3、ジャッキー・ロビンソン - Wikipedia

4、ニグロリーグ - Wikipedia

5、人種差別 - Wikipedia

6、差別用語 - Wikipedia

7、大航海時代 - Wikipedia